全国高校駅伝に出場できなかった理由

 

最近定期的に走っていたりするんですが、走っている時にふと「なんで高校の時(今から約15年前)に全国高校駅伝に出れなかったのか?」を考えることがありました。なんとなく個人的には納得感が得られたので記載してみます。小学校から大学2年まで駅伝部でした。

 

そもそも「本気で」目指していなかった説

「本気で」というには抽象度高いので人それぞれ本気の程度は分かれますが、「やれることをやっていなかったなぁ」と振り返ると思います。けど当時はおそらく「本気で」出場を目標として頑張って練習してました。けどいくら頑張ってもそもそもゴールが不明瞭だったのでその練習方法と量ではたどり着けるはずがなかったなぁと感じてます。

 

「やれることをやっていなかった」とはなにか

ゴールが不明瞭だったのと解像度が低かったです。けどやれたのにやっていなかったというのはあくまで「今振り返ると」ということなので当時はそんなこと考えていなかったなぁというのはあります。

 

■ゴールが不明瞭だった

当たり前ですが「全国高校駅伝に出場すればいいのか」「全国高校駅伝で優勝したいのか」「全国高校駅伝で入賞したいのか」はかなりの違いがあるはずです。「全国高校駅伝出場」だけならたしか県大会で優勝すれば出れたはず。なので全国高校駅伝の対策はまったくせず、とにかく県大会で優勝する戦略/方法を模索すれば良い。

全員が言葉では「全国行くぞ」と言っていたけど、「全国ってなんだ?」っていうところを明確化してなかったなぁと。

 

■解像度が低かった

高校駅伝区間は1区10km、2区3km、3区8.1075km、4区8.0875km    、5区3km、6区5km、7区5kmです。「県大会のそれぞれの区間目標記録」「過去5年間の県大会優勝校のそれぞれの区間記録」「区間記録を出せるための練習量の把握」などまだまだ解像度を高める必要があったように思います。10kmと3kmの練習量は違うと思うし、得意な距離というものがある。

目標とする区間記録よりも速く走るための練習量を実現していないのに県大会優勝することなんてまずありえなかったという気がします。(当たり前体操すぎる)

 

あと致命的だなぁと感じたのは「全国高校駅伝が実際にどこで開催されているのかを知らなかった」ことです。致命的すぎでは?

おおよそ京都で行われているのは知っていましたが「最寄りの駅は?」「1区の区間のラスト1kmのサインはあのコンビニ」「あの曲がり角を曲がったらスパートをする」「ここから何メートルは上り坂」「アップの場所はどこか?」など超具体的な会場の雰囲気や走る場所を理解することを怠っていた。

そこまでやる?と思うかもしれないですが、そこまでやれば目標を実現できるならやるべき。集団での試走ができなければ歩けばいいし、自転車・車で走るでもいい。なんで「全国高校駅伝ってどこでやるかわからないから見に行かない?」と自分が言わなかったのか。やっぱりそこは「そもそも本気で目指していなかった説」が正しいと思うんですよね。

 

議論がありそうなところ

金銭的問題 💰

部活をやる時に共通目標として「全国大会に出場するぞ!」となっても各家庭で捻出できるお金(シューズ、ユニフォーム、プロテイン、遠征費など)には差があるはずです。現地に試走に行くにも交通費も宿泊費もかかるので捻出できない家庭もある気がします。そうなった時に解像度を上げに行くのをやめるのか、目標を下げるか、ぶっつけ本番で走るのかは議論がありそうですね。今ならクラウドファウンディングとかもある?

 

目標を下げる意思決定 🎯

目標を上げるのは結構誰でもできると思います。抽象度が高くても「全国優勝!」と言っていればなんだかすごそうなので。でも所属している部員の中には「地区大会で入賞」を目標としたい人もいるはずなんですよね。そこはそれぞれなのか、共通なのかの目標設定をするのが良さそうな気がしています。

 

ビジネスに似ている

ここまで書いていてビジネスに共通することがたくさんあるように思いました。ゴール/目標から考える、解像度を上げるというのは普段の仕事で言っていることなので、ただその考え方に慣れてしまっているだけなのかもしれないけど。

全てがゴールから逆算すればいいという話ではないですが、おおよそ全国高校駅伝に出場するという目標を実現するためにはゴールから逆算すべきだったなぁということです。

 

京都に行くか(旅行行きたいだけ)